Mid-Erd saga Prologue.
戦(いくさ)と呼ぶには不気味なほど静かな戦いだった。陽の光も届かない森の奥深く。
森を焼く炎が天を焦がす。
炎の生む光は、奇怪な一団の姿を映し出していた。夜闇よりもなお昏(くら)き、漆黒の人影達だった。

音もなく影達が挑みかかるのは、別の黒き、巨大な異形である。
まるで、影絵芝居が繰り広げられているような、黒一色に塗りつぶされた異様な光景だった。影達は黒き異形に押しつぶされ、声も上げずに絶命していく。だが、影の数はあまりに多い。
仲間と思しき影がどれだけ命を奪われようと、まったく怯むことなく、淡々と黒き巨体へと向かっていく。
とうとう、圧倒的と思われた黒き巨体の方が地響きを立て、地に伏せた。
怨嗟の呻きに似た、甲高い鳴き声を上げながら。蟻が虫の死骸に群がるように、とどめを刺さんと黒き影達が一斉に襲い掛かる。
その時、透明な光が黒き巨体を包んだ。

光の膜の中、黒き異形の姿が変容する。霧が空気に溶け消えるように、四散していく。
よく見ると、それは無数の小さな鴉の姿をしていた。その鴉達もまた、ほどなくして完全に消え去ってしまった。
標的を見失った影達は困惑げに、その場に立ち尽くした。
「何が起こった?」
初めて、人の声がした。黒き影達の後方に、甲冑に身を包んだ男が立っていた。
目を引くほどの偉丈夫ではないが、生まれついての英傑のみが持ちうる覇気が、全身から満ち溢れていた。
「一瞬、強い魔力を感じました。おそらくは転移の術によって、どこかに連れ去られたものと思われます」
その傍らにも、一人の人間が控え、かしこまった声音で問いに応えた。老境に差しかかる手前といった歳の男だった。一見魔術師風の装いで、その眼差しには智謀の光が宿っている。だが、同時に、鍛え抜かれた肉体は歴戦の戦士であることをも思わせる。
「魔力、だと」
「これほどの強力な術、使い手は東の魔女以外考えられないか、と」
「支配者(ドミネーター)は追えるのか」
「魔力の痕跡を辿るすべがございます。おそらく、可能かと……」
鎧の男はその答えに、わずかに考えを巡らせる素振りを見せた。
だが、すぐに答えを決め、命じる。
「ならば、支配者(ドミネーター)を追跡させろ。イバシードとグウェンジーの手が空いているはずだな。奴らを使え。生き残った兵もつけよう。今度こそ、怪物の息の根をとめてこい」
「はっ、御意のままに……」
魔術師風の男は深々と腰を曲げ、頭を下げた。
命令を発した男はもうそちらを見てはいなかった。森の木々のかなたに広がる空を見上げ、天に挑みかかるかのように、朗々たる声で宣言する。
「聞こえているか。東の魔女よ。貴様のしたことは問題を先送りにしたに過ぎない。私は戦いを止めぬ。ミッドエルドを影の支配者どもから解放し、真の自由を手にするまではな」
その奇異にして静かなる襲撃が、世界を震撼させる大乱の幕開けになることを、ミッドエルドに暮らす人々は、まだ知らずにいた。