第一幕 コルウス襲来 第一場
ミッドエルドには神々と英雄たちによってもたらされる混沌と争乱が満ちていた。
そして詩人によってその歴史は刻まれる。
ミッドエルドの北部に、守護の王国(ガーデッドレノム)と呼ばれる小国があった。
半島と呼ぶのもおこがましい、痩せた土地が領土の全てだ。この地はまた、陸の孤島とも言われていた。
半島の付け根に当たる東部には悪霊ひしめく呪われた山脈(ホーンテッドマウンテンズ)がそびえ、南西部には漁船を沈める魔物が潜む悪鬼の湾(ベイオブイビル)が逆巻き、陸路、海路ともに、人間にはひどく行き来が困難で、守護の王国に赴くのも、国から出るのも容易ではない。
あたかも、神々の意志が守護の王国を孤立させんと呪っているかのような地形だった。
だが、王国の民は、自分達が「閉じ込められている」とは微塵も思っていなかった。
むしろ逆だ。
領内に魔物が自然発生し、決して恵まれているとはいえない土壌で生きる王国の民たちは、鋼のごとき独立自尊の気質を有していた。
この国の戦士達は、世に放てば人々に害悪をもたらす魔物を自らの領地に封じ、討伐する。領民達もそのための協力は惜しまなかった。
王国の民は誰しも、ミッドエルドの番人たることを己が使命とし、誇りとも思っていた。
かの地が守護の王国と呼ばれる所以である。
質実剛健。
王国の民を一言で形容するなら、そう評するのがふさわしいであろう。
人口は二万に届かないほどでありながら、戦士の割合は他国の比ではない。
普段は農業に従事している農民ですら、魔物から田畑を守るためには鋤を槍に持ち替えて果敢に戦うのだ。
「守護の王国の民は皆生まれついての戦士で、糧食なしでも三日三晩幼子から老人までもが戦い抜ける」
そう謳われているのは、あながち詩人の好む誇張表現とばかりも言い切れなかった。
もし、守護の王国が存亡の危機に瀕したならば、それだけのことはやってのけそうな気風が、かの地の民達には備わっていた。
王国の北西部には、領土の三分の一をも覆う、守護の森(ガーディアンフォレスト)が広がっている。
そして、森の近くには、狩人の部族が住んでいた。
農地の少ない守護の王国において、彼らのもたらす獣の肉や、森の木の実や茸などは貴重な栄養源である。
しかし、それ以上に重要な役割を彼らは負っていた。守護の森に巣くう魔獣を狩ること。
それが、彼らが古来より受け継いできた使命であった。
「やっぱり妙だな……」
狩人エルクは、額に流れる汗をぬぐい、独りごちた。
ようやく雪融けたばかりの春先だというのに、季節外れに蒸し暑い日だった。
太陽は厚い灰雲に覆われ、昼間だというのに辺りは薄暗い。
そのくせ、空気は奇妙に重たくねばつくような暑さがあった。
しかし、異様なのは天気だけではなかった。
ここ半月ばかり守護の森では異変が続いていた。

ある日、その大小、草食、肉食を問わず、森の獣たちが群れをなし、一斉にいずこかへ逃げ出す姿が目撃された。
また別のある日、とうに過ぎた繁殖期以外は決して鳴かないはずの鳥が、何百と競い合うかのように、一晩中けたたましく鳴き続けた。
嵐でもないのに、森の奥で何十本もの木々が倒れたこともあった。
森の頭上に太陽を覆い隠すほどの巨大な影を目撃したという証言もあった。
一つ一つは些細な事象かもしれない。
だが、それだけの怪現象が短いあいだに立て続けに起こっているとなれば、それを引き起こしているものが森に潜んでいるのではないかという疑いも浮上する。
守護の森の狩人たちは、異変の原因を探るべく、手分けして森を探索していた。
エルク・シュラインは今年で十八となる守護の森の狩人だ。
草色に染めた麻の服に、なめし革のマント、そしてその上にはクロガネマツと呼ばれる針葉樹の木で作られた胸当てを身に付けていた。
クロガネマツは軽量ながら、鉄の鎧に匹敵するほど頑丈で、革製のマントは雨風をしのぎ野営にも耐えられる。しかし、いまはそれが少々暑すぎて感じられた。背中にはこれもクロガネマツと魔獣の骨を削って作られた、部族伝統の弓を背負っていた。
上背はあるが部族の中では細身なほうで、一見華奢にすら見える。
が、その実、全身は無駄なく鍛えぬかれ、弱冠十八歳にして守護の森一の弓の遣い手でもあった。
生まれてから十八年、森と共に生きてきたエルクだが、守護の森にこれほど異様な空気を感じたのははじめてのことだ。
―――魔獣が出没した、のか?
まっさきにエルクの頭に浮かぶのは、その可能性だ。
だが、この守護の森では魔物や魔獣の発生は決して珍しいことではない。獣たちも魔物の存在に怯えこそするが、同時に、その恐怖に慣れてしまってもいた。
それにいくら魔獣の力が凶悪であっても、嵐に匹敵するほどの天災を引き起こせるものなど聞いたことがない。森の大部分を構成するクロガネマツは、ミッドエルド一の強固さを誇る植物なのだ。
自分の知っている魔獣とは異質な存在。
エルクの本能は、それが森の奥にいると告げていた。
だが、それがなにかまでは分からない。
早くその正体を突き止めてしまいたかった。
その正体がなんであれ、
魔物同様に人や森に危害を与える存在であれば―――狩らねばならない。
それが、守護の森で生きる狩人に課せられた使命なのだから。